前のページ

次のページ

おいたち
私は加子母という来年2005年に岐阜県中津川市に合併されてしまう人口3千人ほどの山村で生まれた。父親は加子母小学校卒だが、高校教師をやっていた努力家だったためか、兄弟9人は小学生時代を通じ順番に礼儀作法から勉強の仕方、日常生活での心がまえなどを徹底的にしごかれて育った。
肉体的にも同じようなもの。小学3年生の頃に住んでいた萩原町の真冬、氷の張った益田川に胸までつかってテーナ(魚をとる網)をしかける助手をさせられた。土曜の夜12時ぐらいに家を出、懐中電灯で足元を照らしながら仙道をのぼったこともある。1200mの峠に着くころには朝日が顔を出すが下界はまだ真っ暗。懐中電灯は峠の岩の間にしまい、今度は反対側の山の斜面を下って大洞川の上流に出る。直線距離でも10kmはある山越えの厳しい行程だった。そして一日中イワナ釣りをやり、夕方おなじ道を逆にたどって月曜日に変わった頃に帰宅。この課題も兄弟2人組で何度か父親引率でクリアーしなければならなかった。
それ以外にも益田川を泳いで往復するとか、とにかく自分の肉体的精神的限界を納得させるのが目的のようだったようだ。このおかげで私は自分の苦しみ痛みに直面したときには「ああ、この程度か…」と客観的に自分を眺めることができるようになった。
また父親は年齢に応じて臨機応変、現場において自然科学の手ほどきをすべての分野にわたって教えてくれたので、雑学が大好きな男になった。そんな浮気っぽさが高等教育の段階でも最初は化学専攻、続いて人文地理学を学び、いまでは独学で絵描きにさせてしまった。
最後に、父親の口癖だった「他人の2倍の努力をして一人前よ!」を披露させてもらって冥福を祈りたい。
前のページ

次のページ